個別報告準備報告会を開催いたします(近代)

第59回東京歴史科学研究会大会個別報告準備報告会を開催いたします。

報告

古川梨子「一九二〇年代の『婦人画報』にみる節子の慈善事業に関する行啓報道ー赤十字社への行啓報道に着目してー」

要旨

 今日、宮内庁のインスタグラムが開設されるなど皇族がどのように人々から視られるのかが重要な問題となりつつある。しかし、戦前においても皇族がどのように人々から視られていたのかが非常に重要な課題であった。皇族表象研究においては、1920年代において報道規制の緩和を受けて裕仁や秩父宮などが「平民」的、スポーツの宮などと人々に近しい存在として描かれ、人々の天皇制の受容を促していたことが明らかになっている。
 そもそも、1920年代において近代天皇制は危機を迎えていた。すなわち、国際情勢としては第一次世界大戦後において欧州では君主制が崩壊し、国内情勢としては嘉仁の病状が悪化して1921年11月に裕仁が摂政に就任した。このような危機的状況のもとで天皇制存続のために皇族と人々の距離の近さを強調する皇族報道がなされていた。しかし、皇族表象研究では裕仁や直宮を中心に研究が進められており、皇后をはじめとする女性皇族を対象とした研究は課題として残っている。特に、皇后は女子学習院など女子教育の振興や赤十字社のような慈善事業に関する団体への行啓を繰り返し、天皇とともに近代において重要な役割を果たしていた。ただし、皇后研究において、女子教育や慈善事業へのかかわりは近代における皇后の在り方を確立した美子に着目されがちで、節子以降の皇后が女子教育や慈善事業に対する行啓をどのように継承したのかについて検討の余地を残している。
 では、節子の行啓はメディアにおいてどのように報じられていたのか。本報告では1920年代における皇后の行啓報道について分析したい。なかでも本報告では慈善事業に関する報道に着目する。なぜなら、一1923年の関東大震災において皇后節子は病院への訪問を繰り返し、以前からの慈善事業への関わりが大いに活かされたからである。節子は時代の変化に向き合いながら近代の皇后としてどのように慈善事業に関わったのだろうか。
 なお、本報告では『婦人画報』を用いて検討する。『婦人画報』は1905年7月に創刊され、現在も刊行が続く女性向け雑誌である。創刊の辞において、日露戦争以来女子教育や婦人活動が盛んになってきたという「時勢」に応じるために創刊された旨が明記されている。そのため、明治・大正期において女子教育と慈善事業についての報道が多い。皇后については赤十字社や愛国婦人会の総会に行啓した旨の報道がほぼ毎年報じられており、報告者の問題関心から分析する史料として適当であろう。したがって、本報告では『婦人画報』における1920年代の皇后の慈善事業、特に赤十字社にまつわる行啓報道はいかなるものであったのか、報道回数や報道内容への分析を通じて当該期の皇后像について明らかにしたい。

日時

2025年3月23日(日)14~16時

開催方法

オンライン(zoom)

参加方法

Googleフォームより申し込みください

申込締切:2025年3月22日(土)17時